사용자:Orthodox1970/연습장

성 요한
출생1829년 10월 31일
러시아 아르한겔스크
선종1909년 1월 2일(1909-01-02)(79세)
러시아 크론슈타트
교파동방 정교회
러시아 정교회
시성1964년 해외 러시아 정교회
1990년 러시아 정교회
축일12월 20일
10월 19일
영향줌샌프란시스코와 상하이의 성 요한

크론슈타트의 성 요한 (Иоанн Кронштадтский, Іван Кронштадський,1829년10월 31일[율리우스력 10월 19일] - 1909년 1월 2일[율리우스력 1908년 12월 20일])은 러시아정교회 사제이자 신학자, 자선사업가이자 정교회의 성인이다.

1829년 10월 31일, 아르한겔스크현의 시골마을인 수라에서 가난한 복사의 아들로 태어났다. 가난한 가정형편에 고학을하여 상트페테르부르크 신학원에 진학한 후, 26세의 나이에 크론슈타트에 소재한 성 안드레아 대성당의 주임사제로 부임하였다.

활동 편집

자선사업과 해외의 정교회에 대한 지원 편집

19세기 말엽부터 20세기 초에 걸친 러시아 제국의 사회문제가 심각화하던 시기에, 성 요한은 자선사업 및 교육사업에 헌신하여, 직업훈련소, 고아원, 무료숙소, 제빵소, 제철소, 학교등의 시설을 설립하였다. 이 때, 병으로 고통받는 사람들에게 배푼 기적으로 수 많은 사람들이 그를 찾아왔는데, 이들을 위하여 대성당에서 매일 성찬예배를 집전하였다.

또한, 국외에서의 선교활동을 적극적으로 지원하기도 했다. 조선 및 일본에서의 정교회 활동을 물심양면으로 지원하였으며,

また、海外における正教伝道にも活発に支援を行った。日本正教会に対しても多数の聖器物を含めた物品支援を行い、1903年5月には京都ハリストス正教会の生神女福音聖堂が成聖された際に福音経を贈った。これは日露関係が悪化していた、日露戦争の前年のことである。

説教と著作 편집

『静思録』をはじめ、多くの著作・説教が知られている。特に領聖についての説教・著述はよく知られており、クロンシュタットの聖イオアンのイコン聖爵が描かれるのはそうした説教内容に由来する。ロシア革命と、それにより教会が受ける弾圧と苦難を予見し、人々に対して悔い改めを呼びかけた事も知られている。

[1]レフ・トルストイとの交流も知られるが、後にはトルストイの聖職者への呼びかけに罵倒で応えるなど関係が悪化した[2]。しかしながらロシア正教会との関係が悪化するトルストイとの交流をイオアン神父は絶やさず、トルストイに正教に立ち帰る事を望み続けた[3]

領聖について 편집

当時のロシア正教会では、領聖があまり頻繁に行われなかった。足繁く教会に足を運ぶ熱心な信徒でも、年間の領聖回数は数回に満たないのはごく当たり前であった。それどころか生涯の領聖回数が数回に満たない事例も全く珍しいものではなかった。その理由としては、当時の人々が領聖に際して、(ものいみ)を入念に行った上で、長時間の痛悔機密を経た上で領聖するという、聖体尊血に対して極めて慎重な姿勢を保持していた事などが挙げられる。

これに対し、聖伝に基づき、領聖をもっと頻繁に行うべきであるとする意見はロシア正教会内でも強まっていた。クロンシュタットの聖イオアンはその代表的な人物の一人であり、教区信徒に対して頻繁な領聖を勧め、個人での痛悔機密ではなく集団での痛悔機密を実行し、多くの教区信徒の領聖に際して精神的便宜を図った。

現在でもロシア正教会とその影響を受けた地域の正教会では、領聖を慎重に行うべきであるとする見解と、領聖を頻繁に行う事を勧める見解とが様々な温度差のもとに並立しているが、クロンシュタットの聖イオアンによる著述は特に後者の論拠とされることが多い。前者について言えば、「生涯の領聖回数を数度に限定する」までに極度に領聖に対して慎重な姿勢をとる見解は、こんにちでは珍しいものとなっている。

レウシンスキー女子修道院とポドヴォリエ 편집

イオアン神父は、レウシンスキー女子修道院を創建し、サンクトペテルブルクポドヴォリエも設立した。前者は旧ソ連時代に閉鎖され新たに作られたダムの湖底に沈み、現在は残っていない。ポドヴォリエの方は精神病院に転用されていたが、ペレストロイカ後に一部(3階の聖堂)がロシア正教会に返還され、現在、教会として使用されている。

思想傾向 편집

ロシアの君主制支持と排外主義を特徴とする政治組織である「ロシア人民連合(英語版記事)」の一員として、反セム主義団体の黒百人組の活動を支持していた[4]が、一方で、キシナウ1903年に起きたユダヤ人虐殺事件に際しては、虐殺の加害者を非難してもいる[5]。また、特に日本をはじめとして海外現地人のための伝道活動にも支援を行う(前述)など、一民族にとどまらない正教会の伝道活動にも尽力している。

脚注 편집

틀:脚注ヘルプ

  1. 出典:長司祭牛丸康夫著『日本正教史』日本ハリストス正教会教団発行、1978年、73頁
  2. レフ・トルストイによるの神職への呼びかけに対するクロンシュタットのイオアンの返答(原文:ロシア語)
  3. 出典:長司祭牛丸康夫著『日本正教史』日本ハリストス正教会教団発行、1978年、73頁
  4. Степанов А. СОЮЗ РУССКОГО НАРОДА (СРН).
  5. The Vexing Case of Igor Shafarevich, a Russian Political Thinker (p173)